NYC in September

今月もあっという間で、9月も今日で終わりです。
2001年以来9月は私達家族にとって忘れられない月になっています。
この時期になるとどうしても書いてしまいますが、8年前のアメリカ生活中にNYCのテロ事件がおきました。
我々が住んでいたのは、NYCから西へ100km強離れたペンシルバニア州アレンタウンで、直接テロ事件を目の当たりにしたわけではありませんが、NYCまではバスで1時間半程度で毎週末遊びに行く人や、通勤する人もいてNYCはとても身近な街です。 墜落した1機は我が家のほぼ上空を飛んで行ったと思われますし、勤めていた会社も、アメリカ最大手の通信会社で、アメリカで働くことにプライドを持っている人達が多く居りましたので、事件当日の会社の雰囲気と言うものは言葉に表せないほどの落胆ぶりでした。 特に通信系で働く我々にとっては、ITバブル崩壊後にとどめの大きなダメージになりました。
写真は、テロ事件の数ヵ月後、2001年の12月にNYCを訪れた時のものです。 公共施設の警戒は厳しくはなっておりましたが、NYCの街は、既に活気を取り戻しており、アメリカの対応能力には驚くばかりでした。右上の写真は夜中の12時頃のNYCの写真ですが、多くの観光客で溢れています。 悲惨な出来事があった直後とは思えないほどでした。

2000年から2002年当時、アメリカに住んで日本を外から眺めて感じたことは、1)日本人がとても冷たく感じたこと、2)日本人の文化的レベルが低いと実感したこと、3)そして、アメリカにとって日本は、日本人が感じているほど注目される国ではないことでした。
この3つのことは、渡米する前は自分自身はすべて日本の誇るべきことだと考えていましたので、当時の私の衝撃はとても大きいものでした。 それを日本の友人にメールなどで伝えると、大きく反発する人も何人かいましたし、日本の中に居るとやはりどうしても見えないものがあるのかなぁと強く感じました。

8年後の現在、日本人はどれだけ変わったのかを振り返ってみると、未だに、企業の立派な地位の人が平気で歩きタバコをしていたり、交通ルールなども平気で守らない人が居るなど、いくつかあげてみてもまだ、文化的に高い人種にはなりきれていないように思えます。 そういう意味では、日本人は西洋より少なくとも8年は人間的に遅れた人種と言うことになるかも知れません。
唯一日本人に期待が持てるのは、今回の衆議院選で歴史的な変化があったこと、日本人がやっと自ら変わろうという選択をしたことです(8年前に私が唱えた時は日本国内からは大ブーイングを受けましたが・・)。新しい与党が、十分な働きをするかどうかは分かりませんが、日本人が変化を選択したことが重要だと思っています(当時は悲しいことに私の考えは全然伝わらなかった・・、小泉首相の期待感が大きかったので仕方ないことかも知れませんが・・・。)。

アメリカに住んでみると(たぶんヨーロッパも同じだと思いますが)、アメリカ人は国の歴史にプライドを持ちながらも、柔軟で迅速な考え/対応が出来ることにとても驚きます。 もちろん保守的な人も居ますが(地域によっては私の意見は間違っているかもしれませんが)、テロの後でも中東の人達に気を使う暖かさを持っていました。 日本人は長い間独自の文化の中で、特に外敵と言う点では比較的平和に生きてきたためか、柔軟性もプライドも西洋人にくらべて足りない気がしています。
日本は西洋化したといいながらも西洋人になりきれない、かといって、日本人の持っていたモラルや質素倹約の良き精神は既になくなっている、どちらともいえない中途半端な人種になってしまったように思えます。
せっかく政治に変化を求めたのですから、次は、この勢いで、日本人の理想とは何なのかを個々がしっかり考え直してもよいかもしれませんね。

この時期になると、いつも熱く考えてしまうんですよね・・・。
以下の写真は、NYCのグランドセントラルステーションの外観と内観、アメリカ自然史博物館の外装です。
ランドセントラル駅外観の先に見えるタワーはクライスラービルです。