ビルモンロー#4”Can't you hear me callin'"より

ビルはも18歳になり、バーチとチャーリー二人の兄の居るシカゴへ出ました。 兄はSinclerという石油会社で働いており、ビルもそこで働くようになりました。当時田舎で農業で生計を立てる人は、都会の会社で働く人の5分の1から3分の1程度の収入しかなかったそうで、田舎から大都市に出て働く人も多かったようです。
ビルの兄弟は皆背の高い立派の体格をしていたようですが、兄のチャーリーはひときわ大きく、会社の野球チームでもスタープレイヤーでした。 この本の内容からすると、当時は企業の野球もかなり盛んだったようで、チャーリーはプロに匹敵するような素質も持った選手だったようです。
都会の生活にも慣れ、ビルがケンタッキーに里帰りした時に、ちょうどペンおじさんの容態が悪くなり、その後間もなく(1932年6月22日)に彼は亡くなります。
ビルはペンおじさんのお葬式に参列することが出来ず、そのことがずっと心残りだったそうです。 ビルのヒット曲で我々イエローハンマーストリングスのレパートリーでもある”UnclePen"は、ペンが亡くなった18年後に、ペンおじさんへの回想とお葬式の様子を想像して作ったそうです。
UnclePenの中に出てくる"Soldier's Joy"" Bostonboy""Jenny Lynn"などはペンが好きで良く弾いていた曲だそうです。
もう一人、ビルの音楽に多く影響を与えたArnold Shultzも1931年4月14日に45才で亡くなり、ビルは彼の音楽の恩師を続けて失いました。
 
 ビルの兄弟はちょっと喧嘩っ早いところもあったようで、仕事も順調だったある日、チャーリーは、大男のトルコ人従業員と喧嘩をして会社をクビになります。ビルはそのまま会社で働いていましたが、その後間もなくモンロー兄弟にショービジネスのチャンスが訪れます。 とはいっても歌でも楽器でもなくダンサーとしてですが。
ダンスの仕事がきっかけでラジオ放送局のプロデューサーとも知り合いバーチ、チャーリーとビルのモンローブラザーストリオはラジオ放送で週5回の15分枠で演奏する機会を得ました。 とうとうプロのミュージシャンとして活動を始めることになりました。 1933年、ビルが22歳の頃です。