ビルモンロー#3”Can't you hear me callin'"より

ビルモンローの生涯を綴った本も100ページほど読み終わりました。
ビルは生まれながら目に何か障害を持っていたようで、10代のうちに何度か手術をしているようです。
音楽で大きな影響を受けた母もビルが幼いうちに亡くなり、父親は忙しかったため、ビルの面倒はほとんど見ることも無く、姉やおばさんに育てられたそうです。 
寂しさを紛らわすために、森に行ってよく歌っていたそうで、そこで、鉄道員達が甲高い声で連絡を取り合う”ヨーデル”のような声を真似て、のちの音楽の中で歌われる”ブルーヨーデル”になったとか・・・。
10代前半で兄のBirchとCharlieが音楽活動をはじめ、そこにビルも加わります。 しかし、あまり兄達はそれを好んでいなかったようで、ビルには余っていた楽器”マンドリン”を弾かせ、それも音があまり出ないように8本の弦を4本にして弾かせていました。 マンドリンブルーグラスで使うフラットマンドリンではなく、ナポリタンスタイルと言われるよく皆さんが目にする、後ろが丸みを帯びたマンドリンだったそうです。
その後、兄達はシカゴで演奏をするようになり、ビルは残って、母の弟のPendleton Vandiver(のちにビルのヒット曲アンクルペンのモデルになった人)とともに畑仕事を続けました。 夜は、ペンおじさんと一緒に当時の娯楽だったバーンダンスの演奏者として活動を始めました。 ペンおじさんはフィドル(バイオリン)、ビルはマンドリンやギターでおじさんのバッキングをしたようです。
この経験からビルは多くのことを学んだと記述にはあります。
ビルに大きな影響を与えたフィドラーはもう一人居ます。
黒人フィドラー&ギタリストのArnold Shultzです。Shultzから学んだ黒人音楽のリズムは後のブルーグラスのビートの基本となりました。
ビルは黒人に対しても紳士に向き合いましたが、Shultzとのバンド活動では、”色の着いたフィドラーがいるバンドがあるぞ!”などど当時は軽蔑する白人も居たようです。