テロ後のNYC!


 明日9/11はNYC同時多発テロから6年になります。 テロ事件の年、我々はアメリカのペンシルバニア州に住んでいました。 早朝のミーティングが終わって会議室を出ると、通路のモニターにたくさんの群集。 ビルが燃えている様子が見えて、「高層ビル火災か、大変だなぁ」と思いそのまま次の会議にいきました。 戻ってみると隣のビルも燃えていてそこで初めて「何かあったな!」と気がつきました。 「飛行機がビルに突っ込んだ!」とのことで、自宅にいる家内に電話。 家内は何も知らずベランダで本棚にニスを塗っているところでした。 オフィスに戻り日本の家族や友人に電話をすると、日本の方がタイムリーにニュースを見ていたため、状況を良く知っていました。

 その後の会社の様子は、言うまでもなくみんな沈みきって打合せも元気のない状態でした。 偶然にも会社の同僚や知り合いで被害にあった人はおりませんでした。 事故機の次の飛行機に乗る予定の人が出張が取りやめになって次の日に興奮してみんなに空港の様子を説明していたのを覚えています。
 ペンシルバニア州に落ちた1機は、空路を見ると我が家のほぼ上空を飛んで行ったようです。 
 数ヵ月後に訪れたNYCにはテロを悲しむ多くのモニュメントが至る所にありました。 ペンシルバニア州には、「アメリカにも反省すべき点はある!」と言う人がたくさん居りましたが、一歩ニュージャージー州に入ると、ほとんどの家、車にはアメリカの国旗が掲げられており、道のいたるところに消防車が停まって消防士達が黄色い長靴に募金を集めている姿には「テロには屈しないんだ!」という強い意志が感じられました。

 湾岸戦争終戦を迎えた時はちょうどシアトルに居ました。 その当時、”アメリカは正義のために戦っている”と国民の気持ちが一つになっていた記憶があります。 9.11後の戦争には否定的なアメリカ国民が私の周辺には当時すでにたくさん居ました。 テロに対する憎しみと同時に、アメリカと言う国の世界でのあり方について見直すきっかけになった事件でもあったと思います。
 テロ事件に対する疑惑もたくさん耳にしますが、今まであった高い二つのビルがなくなって居ることは事実であり、そこで多くの人が亡くなったことも事実です。