Yellow Hammer Strings (YHS)

yhsdiary2007-01-10

 学生時代(1989年かな?)に内藤(バンジョー)と田中(マンドリン)と私、それに大学同級生の真鍋(ベース)と内藤の大学オーケストラの先輩でバイオリン弾きの中村さん(フィドル)の5人でイエローハンマーストリングスを結成。 結構まとまったバンドだったと思いますが、周りにブルーグラスを演奏する人も居ない時代でしたので、ジャム経験は全くなしでした。 そのため、レパートリーも5,6曲程度でしたが、わりと楽しく演奏していた気がします。 そのうち、メンバーも他の音楽活動が忙しくなったこともあり、2年ほどで、1998年ころに再結成するまで活動を休止。 その間も、たまに内藤と公園などで演奏をしたりはしましたが、ほぼブルーグラスに接することはありませんでした。
 ある日、家内が”この木なんの木”のフレーズで有名な「”日立の樹”の歌のオーディション」の募集案内を見つけたことから、これをきっかけにバンドを復活させようと思い内藤と田中に連絡。 ベースに千野を迎えてイエローハンマーストリングス再結成。 今録音を聞いてみると、久しぶりの演奏かつ適当な機材で撮ったにしては、うまく録音が出来てますよ。 しかし、その後も長く”日立の樹”の歌は同じでしたので、選考で該当するものは無かったのでしょうね。 再結成当時は、私と千野は千葉、内藤は栃木、田中は山梨にいましたが、月一度はみんなで頑張って集まってました。 楽な時代では無かったですが、このとき頑張って続けたことが今につながっています。
 2000年に私がアメリカへ行くことになったため、またしても無期活動休止。 2002年に帰国したのですが、みんな練習しながら待っていてくれたおかげで、直ぐに再々結成できました。 自分勝手にアメリカへ行ってしまって、勝手に戻ってきたのですが、みんなが待っていてくれたのはうれしかったですね。
 その後、ベースの千野がめでたく結婚することになり、仕事も忙しくなったことから、バンドを抜けることになったため、浜松から戻った渡貫が学生のころ以来でベースに復活しました。 千野の結婚式では良い演奏をしようということで、かなり集中して練習したことが、その後のイクスピアリでのオーディションにつながりました。 千野は、タレントの田中律子さんのお父さんとビートルズバンドも組んでいて、このバンドも含めて、彼の結婚式では、いくつかバンドが演奏するということで、自然と練習にも気合が入ってしまったんですけどね。 練習の成果があって、我々の演奏も大盛り上がりでしたよ。
 それ以来、この数年ブルーグラス音楽を知らない人の前で演奏することが多いのですが、どの会場でもブルーグラスは一番盛り上がります。 それなのに、なぜブルーグラスはこれほどマイナーな音楽なのかなぁと思ってしまいます。 もっと人前で演奏すれば、絶対興味を持つ人がたくさん出てくるはずなんですけどね。 
 結成から長い時間かかりましたがやっと人前でまともに演奏できるバンドが出来上がりました。 最近は行くところどころでみなさんに声をかけていただき演奏に張り合いも感じています。 ここで手を抜かず、2007年も、もう一頑張りしたいと思います。
 写真は、左から1)バンド名の由来になった鳥、イエローハンマー。結成当時はもっと嘴の長い啄木鳥のような鳥だと思っていたのですが、インターネットが発達して調べてみると、黄色い少し綺麗なすずめのような鳥でした。 2)イクスピアリ5周年記念ミュージックフェスティバルのスケジュール看板とイクスピアリでの集合写真。スケージュール表に一緒に記載されている風花(かざはな)さんはバイオリンとピアノの女性二人のユニットですが、音大出身でめちゃくちゃうまかったです。 今はプロ活動しているのかなぁ。 
 右上の写真は、東京ディズニーシーTDS)出演のときの看板です。 この看板は帰りに記念にいただきました。 TDSではトロフィーももらったので、あとで写真を見つけてアップします。