フィドル:Masazumi Naito

yhsdiary2007-01-04

 内藤と私は、幼稚園のころからの幼馴染で30年以上の友人です。 内藤は、生まれ持った器用さに加えこつこつと努力する秀才タイプの人間ですね。 子供のころから集中力が高く、効率よく時間を使うため、周囲の人間は天才と思っていた人が多いようですが、彼はひそかに努力していますよ。
 音楽を本気で始めたのは、小学校5年生で金管楽器バンドに選抜されてからと記憶しています。 彼はチューバ(私はトランペット)を吹いておりましたが、彼の演奏の正確性には、習っていたプロトロンボーン奏者の先生も絶大な信頼を置いていました。
 その後、独学でピアノ、ギターをマスターしましたが、負けず嫌いの内藤は、自分が納得するまで集中して練習し、そのレベルはかなりのものでした。彼がボサノバギターを始めたときは、飲んでいる途中で急にギターを弾き始め、「リズムを刻んで!」と頼まれて、そのまま30分以上割り箸で皿を叩き続けさせられた苦い記憶があります。 若いころは、周りを忘れて何事にも集中してしまうことが良くありましたね。 
 高校の英語の先生がブルーグラスを学生時代にやっていたことがきっかけで、ブルーグラス音楽の存在を知りました。 内藤は初めはバンジョーを弾いていました。 驚くことに、バンジョーを買った次の日には、二、三曲すでに彼は弾いていましたね。 その後、マンドリンの田中が加わりイエローハンマーストリングス(YHS)が出来上がった訳ですが、明らかに彼のバンジョーが当時のバンドを支えていました。
 内藤は、管楽器をその後も続けて、筑波大学では管弦楽団トロンボーンを吹いていました。3年生のときには管弦楽団団長になりさらに忙しくなったこともあって、YHSの活動も自然と終息していきました。 
 1990年代後半に再結成したときにはフィドルに転向! 秀才内藤にとってもフィドルは難しい楽器のようで、私が知る限りでは、彼がこれまでで一番苦労している楽器だと思います。 内藤の性格からすると、それだけにやり甲斐があるんでしょうね。 
 内藤は中学から大学まで音楽一筋でしたが、プライベートでは自転車やマラソンで長距離を走るなど、体育会出身者にも劣らない持久力と根性の持ち主です。 昔は一緒に自転車で埼玉から鎌倉や筑波山までサイクリングもしましたね。
 写真は、1)バンジョーを弾いていた学生時代の学園祭風景、2、3)軽井沢フェス、4)ディズニーリゾートイクスピアリ、5)東京ディズニーシー、です。 内藤は、髭を生やしたり、髪を染めたり、坊主頭になったり、少し見ないと全く様子が変わるのも注目ですね。 6)最後の写真は、軽井沢フェスに行く途中、軽井沢・碓氷のインターを降りた途端に故障した内藤の愛車、緑のワーゲンバスです。 結局その日は車は動かず、レンタカーに乗り換えて会場に着いたのは夜中の12時でした。