その3:イエローハンマーストリングス結成

 空白の浪人生活を終えて、ほとんど偶然に大学生になり、大学ではとりあえず好きだった物理を専攻しました。 マンドリンの田中とは同じ物理学科の同級生です。 
 大学では野球をやるか音楽をやるか悩んだあげく、田中とともアメリカ民謡研究会に入りました。 もちろんブルーグラスを本格的にやりたいという希望でしたが、そのころ関東の大学でブルーグラスをやっているサークルはほぼ皆無で、私の入部したサークルも例外ではありませんでした。 日本大学理工系アメリカ民謡研究会は、1966年から続く名門サークルで、現在でも大先輩がブルーグラス界で活躍しています。 全盛期は部員100名を有し、読売ホールを満員にするコンサートをしていたそうで、かつてのアイドル、キャンディーズと録音したレコードも残されていました。 このサークルで、現在のベーシスト渡貫、三代目ベーシストの千野と出会うことになります。
 当時バンジョーの内藤とギターの私は、ブルーグラスバンドを作るべくメンバーを探していました。 私は一目で田中のギターセンスとその技術に惚れ込み、メンバーに迎え入れました。 田中は自らマンドリンが弾きたいと申し出て現在に至ります。 一代目のベーシストは同じ物理学科の同級生の真鍋。 フィドルに内藤の筑波大管弦楽団バイオリニストの中村先輩が加わり初期のイエローハンマーストリングスが出来上がりました。